
清澄寺の山門
このお寺が真言宗寺院であったとする証拠がこれだ!
1832年(天保3年)に行った、弘法大師一千年御遠忌に建てられた石碑である。(176年前)

清澄寺の全景

清澄寺
千光山清澄寺は、およそ1200年の昔、不思議法師と名づけられた僧侶がこの山の頂から光が発するのを見て山に分け入り、小さな虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の仏像を彫り、その仏像の前で21日間修行したことに始まります。その後、天台宗比叡山延暦寺の中興の祖慈覚大師円仁師がこの地を訪れ、その仏像の前で21日間の修行をしました。それ以来、このお寺は天台宗のお寺となり、しだいに栄えてゆきました。鎌倉時代はこのお寺が最も栄えた時期で、僧坊は12、祠堂25を数えました。ところが、室町時代の後半から、たび重なる火災と戦によりお寺の衰退が始まりました。江戸時代の初め、真言宗智山派の僧侶 頼勢法印は徳川家康公よりこの山を賜り、再興に尽力しました。幕府より十万石の格式を賜り、京都 醍醐三宝院の関東別院となったところから、寺紋は菊と五七の桐になりました。
江戸時代に再興を果たした後、明治期に入ると廃仏棄釈により再び衰退を迎えました。大正期に日蓮聖人の銅像が完成してから、お参りの信者さんが増え、さらに真言宗智山派と日蓮宗との間で改宗の話し合いが持たれました。昭和24年にこのお寺は日蓮宗に改宗し、宗門直轄の大本山として現在に至っています。房総第一の巨刹といわれ、現在の伽藍は江戸末期の建築です。境内中央には樹齢千年以上を数える神代大杉がそびえ、国の天然記念物になっており、この寺の長い歴史を物語っています。また、杉の樹上に産卵するモリアオガエルはキヨスミミツバツツジとともに県の天然記念物に指定されています。
研修旅行に参加した仲間達(青年僧侶?)


